上杉の歴史と舞台芸術を合せ持つ
博物館・文化施設
伝国の杜 Denkoku-no-Mori

| 日本語 |

| English |

| 中文(繁体字) |

| 中文(簡体字) |

| 한국어 |

博物館開館時間
  9:00~17:00
(入館は16:30まで)

博物館休館日
4月~11月は毎月第4水曜日。
12月~3月は毎週月曜日。
(月曜日が休日の場合は
その直後の平日)
※年末年始休館があります。
※臨時休館があります。

2024(令和6)年度
休館日カレンダー(pdf)

文化ホール休館日
毎週月曜日
(月曜日が休日の場合は
その直後の平日)
※年末年始休館があります。
※臨時休館があります。

Yonezawa City Uesugi Museum

企画展 浜田浜雄 -これを何と呼ぶ?超現実的世界?-

展覧会一覧へ戻る

企画展「浜田浜雄 これを何と呼ぶ?超現実的世界?」


名称:企画展「浜田浜雄 -これを何と呼ぶ?超現実的世界?-」
平成18年9月9日(土)~10月9日(月・祝)      
休館日:9月27日(水)


 浜田浜雄は1915年(大正4)山形県米沢市に生まれました。画家になることを決意して上京、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)へ入学します。1936年・37年には二科展へ入選を果し、その才能を発揮します。浜田が画学生として過ごした時期は、戦争前夜の不安な社会情勢の中で既成の概念にとらわれない、前衛的な学生達のグループ活動が活発に行なわれていた時代でもあります。そのなかで多くの学生が後ろ盾にしたのがシュルレアリスム(超現実主義)という思想です。画学生達は主に詩人の瀧口修造を通してこの思想に触れ、表現に取り入れました。浜田もこの思想に強く触発されながら、より純粋で新しい芸術の表現の模索にのめり込んでいきまた。1938年には同人グループ「絵画」を結成し、4回の展覧会を開催しました。このころの浜田の画風はスペインの画家サルバドール・ダリを髣髴とさせるもので、1970年代以降、戦前の美術の再考の動きの中でしばしば象徴的に扱われています。

しかし、戦争の波は多くの芸術家の創作活動を断絶させました。浜田も例外でなく、戦後はほとんど絵画作品を世に発表していません。その一方で浜田の才能はデザインを始めとする、幅広い分野で花開き、膨大な仕事を残しています。1953年にはデザイナーや写真家と「グラフィック集団」を結成し、広告デザインなどで非常にクリエイティブな仕事に関わりました。

戦前、戦後を通して、浜田が持ちつづけた「世界」。
その底流に流れる確かなものを感じ取っていただけることと存じます。
 本展覧会は、没後初めての郷里での回顧展となります。画学生の時代から戦後のデザインの仕事に至るまで浜田の足跡をたどります。

浜田浜雄(1950年代)

■ギャラリートーク 9月9日(土)14:00~

当館学芸員による展示品解説  (企画展示室入場券が必要です。)

■ワークショップ 9月15日(金)19:00~

「博物館でシュールな夕べ」
場所:企画展示室
対象:高校生以上
定員:20名程度
参加費:500円
8月17日(木)から申込受付開始
受付窓口や電話等でお申し込みください。





■主な出品資料
「蜃気楼」
油彩・キャンバス 1940年
「窓2(ソーのシャトオ)」
油彩・キャンバス  1970年
「発汗体」
油彩・キャンバス 1938年
「タイムキーパー」
油彩・キャンバス 1938年
広告のためのカット
1950年代

その他

油彩
「廃墟に咲く」1936 第23回二科展入選 
「タイム・キーパー」1938「絵画」第1回展
「発汗体」1938「絵画」第1回展
「オノレシュブラック嬢のりぼん」(写真)1939「絵画」第3回展
「オデオン」1940「絵画」第4回展
「蜃気楼」1940「絵画」第4回展
「私は鬼になったの」1951
「自画像」1970
写真
「APN(アサヒ・ピクチャー・ニュース)」のための構成(撮影:大辻清司)1953
「燃えるジェイ」1957「グラフィック集団」第4回展
広告のためのカット原画

展示総数約150点




料 金

種 別
企画展
常設展と企画展
セット券
一般
300円
(240円)
500円
(400円)
高校・大学生
200円
(160円)
300円
(240円)
小・中学生
100円
(80円)
150円
(120円)
( )内は20名以上の団体料金です。