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「美術」という言葉は明治になってから生まれた日本語ですが、この言葉を使われだすずっと前から絵を描いて、暮らしをたてている人たちがいました。
明治以前において「絵師(えし)」(または画師)と呼ばれたこれらの人々は幕府や藩からの命を受けた、いわば公的な仕事をする人たちと、民間で絵を売って暮らす人たちとに大別されました。前者は「御抱え絵師」「御用絵師」、後者は「町絵師」などと呼ばれていました。
米沢藩には「目賀多(めがた)」という画師がいた事が知られています。目賀多家は代々狩野派に学び、その技術をいかして米沢藩に仕えていました。藩から扶持(お給料)をもらう「お抱え絵師」だったのです。
では米沢藩の絵師たちはどんな仕事・暮らしをしていたのでしょう?
目賀多家は南北の二家に分かれており、その系図には不明な点も少なくありません。しかし、残された資料からは絵師たちの興味深い日常をうかがい知ることが出来るのです。
本展覧会では当館所蔵の作品から知られざる目賀多家の姿をご紹介します。
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